僕は全然死ななかった。天才じゃないから。でも何かは変わった。感動しなくなったものや、関わらなくなった人、ぶつからなくなった意見や、割り切れるようになった想い。死んだものだって内側に確かにあった。

音楽はやめたりしない。

 

死んだものを今のところ、メッセージ性って呼んでいる。わざわざ説明して全部を事細かに伝えたいって思いがなくなった。コンプレックスを他人に理解してもらうこと、もしくはその説明をするという過程そのもので自分の足りない部分を埋めたかったのかもしれないこと、もしくは埋め続けるという行為をしたかったのかもしれないこと。今は足りない部分があってもそういうもんか、と思うことが増えたりした。気にし過ぎることはたまにあるけれど、一般的な程度には(一般的の程度がわからないけど)コンプレックスが消化された気がする。そうなったあとの目でいろいろ見ると、今はしつこいくらいメッセージでどこもかしこも溢れてる。疲れて「メッセージ性 辛い」で思わず検索した。(他にもそんな人はやっぱりいた)

でも音楽をやめたりはしない。好きだから。

27年という数字で満たされる何かがだいたい人間にはあるんだろう。満たされなかった人は飢えたままのエネルギーに内側で暴走されて人間じゃない芸術みたいな何かになるんだろう。何をしてても積み重なる時間は平等にあるし、意味でも無意味でも人は何かを通り過ぎて生きて多分そこにいる。僕は一昨日映画館で映画を見て、いいなーって思った。最近流行りの映画だった。それでよかった。

 

これからどこに行ってどうしたいかはわからないけど、歌いたい曲はまだあるし(自分の曲の話ね)やりたいことはまだぽつぽつはある。やりたいことと言うよりは維持していたい状況とか状態、とか。安全安心な場所で。

 

だからやっぱり音楽をやめたりはしない。ただ好きだから。好きなんかじゃないって言いながらずっと唯一手に持ち続けたものが多分好きなんだ(これからもべつに好きとかじゃないとか言いそうだけど)

 

まだ満たされる気配もなく、死にそうで消えそうな人が良いなー素敵だなーって思う。あんまり今の時期そんな人いないけど、ネットの外や向こう側には画面に張り付くようにしてブルーライトに照らされたそういう人の部屋がきっとある、そういう人は存在そのものがきらきらと薄く光る。そんな人にいつか安全安心な場所がどこかにあると言いたい。でもきっと潔癖なほどに純度の高いそういう人だから、そんなこと他人から先回りされて自分でも確かめていないことを口にされるのは望んでいないかもしれない。

 

どこかでどうぞすきに照らされながら生きていてください、皆さん。