navy.として 人として

 

先程ツイッターでも呟きましたが、navy.は解散致しました。本当に昨日まで皆ありがとう!

 

元々は3年するつもりでしたが、結局振り返ってみればそれをギュッとまとめた1年弱だったように思います。音源を録り、MVを作り、ツアーを周り、ライブをした。それは僕が以前からやっていたことでもあり、だけどもきちんとやれていなかったことでもありました。

 

各々の場所を回る上で、他人や事務所の人に任せるわけでもなくメンバーや相手方のライブハウスの方を通してライブ当日までを迎える段取りを考えること、(廻りきれなかったり残念ながらキャンセルとなってしまった箱もありました、本当に残念ですごめんなさい)それにはBa.が動いてくれていました。そのおかげで、いつかやりきれなかった旅をまた一つ終えることができたように思います。

 

また今年よりまだまだ未熟ながらもブッキングマネージャーとして働かせて頂き始めたこともきっかけに、

 

実際に「バンド活動をする」ということは、ただ現地で音楽を演奏するだけということではなくて、それまでに人と人のやりとりをするということであり、今日表面的に熱くなって打ち上げウェーイではないのだなと改めて感じました。その日その場所までの苦労があるから、本当に当日熱が籠もるんだな、と。

だから回った場所によっては全く熱を感じない場所も正直ありました。あー、ここは名前は有名な箱だけど、地元バンドのことは見てあげてないし無理矢理ライブボンボン入れてそうだし、ブッキングの人も飲ませる割にライブ中一回も出てこなかったなーとか。

そういう人には単純にああ、音楽がよくわかんないまま熱いこと言うためだけにここにいるんだなーコイツ、くらいに思います。

 

 

それとは反対に、ここ一年で音楽を仕事にした友人、しようとした仲間、しようとしていたが志半ばで死んだ友人などもいました。

 

皆言う言葉の純度が高く、無駄口少なく時々しか本当のことを零さない人ばかりでした。今思えばずっと気を張り詰めているような、柔らかい空気でさえ相手のために出しているような本気の人ばかりだったなあと思います。僕はそういう人たちが大好きです。

明日死んでしまってもおかしくないような人達、とでも表現すればいいのでしょうか。

それはネガティブな表現として一部からは煙たがられるのかもしれませんが、僕はとても純粋な人たちだと思います。

 

そんな人たちに囲まれ、流され、「navy.のボーカルという役割」をやらせてもらった自分は、本当に良かったなと思います。枠を作ってバンドをしたことではみ出すべきことも収めるべきことも体感として学べました。

大学の時に始めた一番最初のバンドがやれなかったこと、その中に居ながらも理解が及ばなかったこと、やっとこの歳で「経験」として納めることができたかな、という感じです。学校を卒業したあとに、当時学んだことに気づくような。

 

 

さて、今後はどうするのかというと僕自身は普通に音楽を続けます。ここ数日作った3曲くらいは、今まででは絶対作れなかったろうな、というアイデアを詰めた曲になりました。また昨年度より音楽講師を始めたことにより、同じ学内のレコーディング科の環境や授業・講師の方の意見を通し、個人でもより良い音でレコーディングして音源を残していきたいな、という想いが強くなってきています。今までは作りたての瞬間のボイスメモが1番美しいと思っていました。でもそれは誰にも聴かせようがなかったのです。

 

なので、音楽的にはより内側に深く目を向けながらも、出口は今の時代いくらでもあるので整えて外に向かってその音を出せたらなと思っております。ライブもその一つの吐出口になっていくのだと思います。特に最近やっているkansekaiというバンド形態がまさにそういう感じです。信頼できる音響の人と照明の人だけとともに、信頼できるイベントに出る。弾き語りに関しては後々もうちょっと複雑なことができるようになりたいです。つい最近みんな知ってる有名なビッグアーティストのめちゃくちゃでかい会場のライブに行きましたが、それはそれはうんちみたいなライブでした。でもそれでいいんでしょう。商業的な遊園地のアトラクションみたいなイベントと、芸術とか人間の感情の表現として見る価値のあるもの、は全くの別物なので。見てても …? はあ、アッソ!という感じでした。

 

あとは信頼できる仲間がほしいですね。どっちかというと後輩。それは未来があるからです。先生を始めて思いました。基本的に僕はジジイは嫌いです。だから僕もいずれ嫌いなジジイになるのだろう。とても残念だ。

なのでジジイになる前に多少嫌われても素質のある後輩には影響しておかないと、託すものやお互い切磋琢磨し合う相手がいなくなりただの早めの嫌な孤独ジジイになってしまう。周囲にそういう人がぽつぽつと出てきました。恐ろしい。(勿論そうならない先輩もいます。誤解を招きたくないほどにそういう人たちのことは好きです。そういう人には自分から意見をいつも聞きに行きます)

 

こういうことを書くと、一部のまさにお前やんみたいな人がワーワー言い出すのですが、まあでも僕のほうが人生楽しいので良しとします。曲できたし。そういえば家も借りれて、携帯も新しくなりました。最高。

関係ないですが昨日、人に人の感想を求めたときに「うーん、なんかよくわかんないけど最近のあの人つまんない」って言っていて、あ〜!それは大事!と思いました。

僕らは歳をとりつまんなくなります。大抵の人が人生のスピードを落としてゆく。それをつまんないね、と笑える権利があるのはあっという間に時が過ぎてゆく体感の中で生き急いでいる人だけです。その人たちは流れ星で、すべての出来ごとが暇つぶしです。輝いているので周囲は勝手に願いを託すでしょう。でもその人たちの願いは叶いません。流れ星は見る人のためにあるのではなく、ただ本人が目的地へ向かうためにある途中の光だからです。

僕も音楽を始めた時よりは時間を重ねましたが、あれから減速するというよりは「より目的地を定め向かう」に近い動きだな、と客観的には思います。

 

 

さあ、かなり話は脱線してしまったのですが、そろそろまとめです。

 

僕はnavy.をやれてよかったです!人魚の歌詞の彼女は僕らがバンドを続けなかったことで逆に結局生きていくのかもしれません。そうすると彼女は死ぬかもしれなかった当時の必死さを忘れ当たり前に生きてゆくのかもしれない。だけど生きていく、とはそういうことな気もします。忘れてゆくこと。

昨日までの自分が死に、今日違う自分が生きてゆく。ただ僕はできるだけ忘れず、いつも目標へは真っ直ぐで在りたいです。

 

このあと早速ブログを上げたあとに次の弾き語りのライブをいくつか告知致します。ぜひチェックしてください。

 

 

それではありがとうございました!

navy.でした。

 

Gt.&Vo.

大島正太