中間世界の子どもたち

 

こんにちは。大島正太です。最近みなさんどうですか!

僕は今年1年間の中で変化が大きかったです。環境も心境も。

 

そんな中久しぶりにサブスクで音源を出そうと思います。中間世界の子どもたち。パウル・クレーという僕が好きな画家の本に書いてあったサブタイトルから引用しました。

 

僕は確かに大人になろうとしています。何を29にもなろうとしてって、と思うかもしれませんが本当にそうなのです。年齢を重ねるだけじゃ大人になどなれなくて、自分の生きていく世界についていろんな割り切りをつけてやっと大きな人になれるのです。

 

かつて小さな子どもだった頃、大きな子どもだった頃、小さな大人になれた頃、いろんな時がありました。その時はタイムマシンに乗るドラえもんみたいに、時空から時空へ好きに飛び移れたものです。

子どもの無邪気さを使ったり、大人の責任感を利用したり、身体ごと行き来ができました。でもそれはもう片側を置いてけぼりにする行為でもあったのです。(ドラえもんでもそうですよね、未来でも過去でも片方を変えると現在にタイムパラドックスがおきます)

 

そんな揺れる振り子のような世界を彷徨い歩いた時期のことを久しぶりに掘り返してまとめておこうと思いました。どこにも馴染めず収まらず、一つの絵から浮いてしまった色みたいな8曲です。

当時の僕はよく「勘違いでもいいからやる」とよく言っていました。それはつまり、これは勘違いかもしれないと薄々もう勘付いていたということでもあります。これもう自分のやるべきことではない、とわかっていながらも辞め方がわからなかったのです。

 

そんなことは沢山あると思います。大事なものほど腐って枯れてからも捨てることができません。でもそうすると大切にしていた過去ごと根が腐ってしまうと思うようになってから、都合よく行き来することを辞めることにしたのでした。

 

揺れ動く時期に見たものはどれも幻みたいなものだったけど、これからも忘れない幻です。多分何度も眠る度に見返して、でももう一度追いかけはしないような思い出です。それが遠くにあるから、今の僕は眼の前の地面を歩いていけそうです。

 

そしたら会うものによっては、もう一度現実の世界で出会える景色かもしれないから!

 

なので置いていく意味として子どもたちだった曲たちを配信します。スローからミドルテンポが多く、少し長いと思うので心に余裕がある時にでもぜひぜひ聴いて下さい。